No.1567, No.1566, No.1565, No.1564, No.1563, No.1562, No.1561[7件]
新しい手帳サイズのスケブが届いたので
#絵日記
#絵日記
そういえば、めっさ厚塗りしたことあったわー
あれ、マット水彩だったからなんだなー
あれ、マット水彩だったからなんだなー
頭痛ひどすぎて、初めて吐いた…痛すぎてなんとか治めたくてあれこれ調べてたら、案外に吐くと楽になることもあるんすね
実際、楽になって、そのままちょっと寝て、目が覚めてからも残る頭痛は筋肉痛の薬で治まったので、待ってもらってた相方に合流して、サンブレイクデビューしてきました(今ごろ
姉上、かっこよすぎんか…かっこよすぎんか…
実際、楽になって、そのままちょっと寝て、目が覚めてからも残る頭痛は筋肉痛の薬で治まったので、待ってもらってた相方に合流して、サンブレイクデビューしてきました(今ごろ
姉上、かっこよすぎんか…かっこよすぎんか…
そろそろ、四十九日か…
じいちゃんが亡くなったときに、四十九日というのは本当に、良くできた仕組みだなと感心した。
ちょうど年末で、とにかく忙しくて。
ついでにほぼ週末で、通夜だのなんだのは土日で終わっていて。
そこから七日に一度、五週間、坊主が読経しにきて、最後の週はわしらが行った。たぶん。
悲しい時やつらい時は、忙しくしておけばよい、と書いたのは、たぶんカーネギー。
人が来るから支度して、とか、出かける支度して、とか、仕事おわらねーとか、なんか慌ただしく日々が過ぎて。
四十九日めなど、むしろ皆、ほっとしていたんじゃないかと思いだしたりする。
七日法要が忙しさを作り出し、人のために何かをすることで気を紛らわし「その人のいない日常」に強制的に慣らされてゆく。
そして法要の終わった開放感は、葬儀の諸々の慌ただしさを、思い出に変えてしまう。
昔から続く風習は、道理に叶っていると感じることも多い。
いつ頃に定着した風習かも知らない法要の諸々は、何も考えられずに打ちひしがることを許さず、喪った人を忘れることを許さず、過去への執着を懐かしさに書き換える、合理的な行いだったのかと感心したことを、また、思い出している。
じいちゃんが亡くなったときに、四十九日というのは本当に、良くできた仕組みだなと感心した。
ちょうど年末で、とにかく忙しくて。
ついでにほぼ週末で、通夜だのなんだのは土日で終わっていて。
そこから七日に一度、五週間、坊主が読経しにきて、最後の週はわしらが行った。たぶん。
悲しい時やつらい時は、忙しくしておけばよい、と書いたのは、たぶんカーネギー。
人が来るから支度して、とか、出かける支度して、とか、仕事おわらねーとか、なんか慌ただしく日々が過ぎて。
四十九日めなど、むしろ皆、ほっとしていたんじゃないかと思いだしたりする。
七日法要が忙しさを作り出し、人のために何かをすることで気を紛らわし「その人のいない日常」に強制的に慣らされてゆく。
そして法要の終わった開放感は、葬儀の諸々の慌ただしさを、思い出に変えてしまう。
昔から続く風習は、道理に叶っていると感じることも多い。
いつ頃に定着した風習かも知らない法要の諸々は、何も考えられずに打ちひしがることを許さず、喪った人を忘れることを許さず、過去への執着を懐かしさに書き換える、合理的な行いだったのかと感心したことを、また、思い出している。
向かいの屋根の上からこっち見てた鳩と目があったかなと思うたらすっと目線を外されて、こちらを見ることなくウロウロして、見えないところへ行ってしまった奴に
「あ、やべ目があった」
「ちょ、人間ずっとこっちみてる」
「やべーやつだ、無視しよ無視しよ」
「あいつまだ見てる、知らん顔しよ、知らん顔」
みたいな脳内アテレコしてた
「あ、やべ目があった」
「ちょ、人間ずっとこっちみてる」
「やべーやつだ、無視しよ無視しよ」
「あいつまだ見てる、知らん顔しよ、知らん顔」
みたいな脳内アテレコしてた