2 母

母になる友達に、人生諭された。
もともといろいろ心配してくれる子で、くじけてても正論ぶつけてくるタイプなので、突然おいらが泣き出してあわてさせたこともあった。
いい加減でいたことに寛容でいてくれた子のうちの一人なわけだけども、そろそろ逃げるのをやめにせんかと時間をかけて諭してくれた。
相変わらず正論で、そうね、と思い返しているうちに(反芻して理解するまでに半日くらいかかる)引き合いに出ていたある友達のことも考えていた。
むかしまったく別の友達から言われた「正論が聞きたいわけじゃないときには、君には話さない。」と、3年間会社のおっさんに諭され続けてきた「世の中、正論ばかりでまわらないんだ」が、同じだったと今更気づいた。
正論は時に残酷だ。それも知らなかった。

母になるという現実は、いっそうの厳しさを友達に与えた。けれどもその厳しさを受け入れられない時というのも、人にはある。
会社のおっさんの言葉と、その友達と、過去の自分と、遠い友達。
母になるという逃げられない事情を目の前にして、覚悟を決めた人の言葉だ。忠告はちゃんと聞く。
そうして、さかのぼってさかのぼってぐるりと回って思考が帰ってきたときに、今まで気付けなかったことにもひとつ気付けた。
正しいことから逃げてはいけない。間違ってないんだから、正しい。
けれども、正しいことを伝えるだけでは、本当に気付いてほしい正しいことは届かないこともある。
伝わらない相手うなずきたくない相手に、ただ同じ言葉をぶつけてもだめなんだということを、なんだか別の話から思いいたった。
非常に当たり前のことだと思う。
けれどもその当たり前が難しいから、誰かがどこかでいつもくじけてるんじゃないだろうか。

(2008/01/27)

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