逮捕部屋

百の二。

 誰がやったかわざわざ明かりを落とした食堂で、交通課の女子職員がひとところに集まっていた。円陣を組んで座り込み、雁首をそろえている。どうしてそうなったのか日の落ちかけた薄暗い部屋で恐怖体験自慢大会となっていた。警邏中に見た人影から、近所の交差点の事故現場に出るというおばあさんなどなど。全員参加というより、強制参加で始終悲鳴をあげるばかりで聞いてるのか聞いていないのかもわからない人物も一人まざっていたが。
「けっこうみんないろいろあんのねぇ。」
 すっかり泣きの入った美幸をひっつかまえたまま、夏実が意外そうに声をあげた。
「夏実ほどなんにもないのも珍しいわよ」
 交通課の面々がうんうんと大きく頷くと、悪かったわねぇと夏実は頬を膨らませる。
「美幸は?」
 恵美子が身を乗り出して、背中を向けてしまっていた美幸に声をかけた。
「あ、あたし?」
「ない?」
 涙ぐんだままようやく振り返った美幸にさすがに悪いことをしたという空気がながれるところだった。
「ある。」
「えぇっ」
 結局、みなの好奇心はほんの少しの罪悪感まですべて押し流し、次の瞬間には「聞きたい」の大合唱になった。実は一番驚いていたのは夏実だったのだが、そんなことはもう、どうでもよかった。美幸はといえば夏実の腕が離れたのでそのまま席を立とうとしていたのだが今度は周りがそれを許さないようだった。
「聞きたいって、そんなに怖くないわよ」
「でも、聞きたいっ」
 これが頼子や夏実なら振り切っただろうが、その他大勢全員に詰め寄られてさすがに美幸は観念した。ダメ元で夏実の方など見てみたが、好奇心に目を輝かせた子供が目の前に座っているだけだ。
「ぅう」
 目線を落とし、ため息をつき、椅子に座りなおしてから美幸はようやく話し始めた。
「まだ、中学に上がる前にね、春休みだったかな夏休みだったかな、誘われて、ミニバイクのレースにいったのよ。」
「はぁ」
「みんなでお金出し合って、サーキット借りて、やるような。草レースだったんだけど」
「うんうん。」
 いったいいくつからやってたんだという呆れ顔と、いったいどんなという疑問とが入り混じった相槌にとりあえず美幸は片方だけ答えておく。
「初めてで嬉しかったのと、父さんに送ってもらったときの都合もあって、一番乗りしちゃったのね。」
「うん。」
 相変わらずねぇと、夏実のいれた茶々は無視。
「まだ、だれも来てなかったから、ピットの方に一人でいったのね。」
 わからない誰かが他の誰かに尋ねている。小さな声でのやりとりが聞こえてきたが美幸はそのまま続けていく。
「夜が明けてたから夏休みかな。とにかく早い時間だって言うのに、となりにはもう人がいて、打ち合わせしてるのよ。」
「あんたより気の早い人もいるんだ」
「悪かったわね」
 続きを聞きたい一行にまぁまあと押しとどめられ、悪びれずてへーと笑う夏実を恨めしそうに見ながら美幸は続ける。
「やることもないから外からずっと眺めてたんだけど、そのうち気づかれて、中に呼ばれたのね。こぅ、手招きで。」
「行ったんだ。」
 尋ねた夏実の方を見やり、美幸は頷いた。
「うん。まだ全然わからない時だったから何を話してるかもよくわからなかったんだけど。混ぜてもらえたのが嬉しかったのね」
「ふぅん。」
「で、テスト走行が始まって、あたしはずっとその中にいたんだけど。」
「うん、で、何が怖いの。」
 もっともな夏実の問いに、あぁそういえばという風に全員が頷いた。
「あたし、行方不明だったのよ。」
「は?」
「朝、突然姿が消えて丸2日帰らなかったの。父さんがあたしがいないって大騒ぎして警察沙汰にもなったらしいんだけど。3日目に自宅付近で保護されました。」
「それって、怖いとか、そういうレベルじゃないんじゃぁ」
 夏実の言葉に交通課の面々がうんうんと頷くのを見やり、そうねぇと美幸も頷いた。
「あんたがいうとあんまり怖くない。」
 夏実の言い分ももっともだ。だって、怖いじゃないという美幸の反論は何か違う。
「それって、夢なんじゃないの」
「あたしも、そう思う。」
 誰からともなく言い出して、うんうんとほとんどが相槌を打つ中、そう、思うでしょ。と言いながら美幸は傍らに置いてあったポーチからシステム手帳を取り出すと、挟んであった写真を抜き取った。
「お守り。おじいちゃんと、その友達。」
「あぁ、ヨタハチの。」
「そう。あたしが会った人たち。あ、真ん中がうちのおじいちゃん」
 軍服と白シャツのいりまじったどこか切なげな笑顔の集合写真。写真屋でとっただろうに6人の少年たちはもみあうようにして小さな写真の中に収まっている。夏実がそれを受け取り、横にいる頼子にまわす。全員にまわって手元に戻ってくると美幸はそれを同じ場所にしまいこんだ。
「えっと、これってお約束?」
 夏実は人差し指を天井に向けて笑顔など作ってみる。
「お約束っていうのかはしらないけど。特攻隊志願者の送別会にとったんだって。だから言ったじゃない、そんなに怖い話じゃないって。」
 次の瞬間、何言ってるのっという一斉反撃に美幸は圧倒された。
「十分すぎるわよ。」
「実物見るのって初めて」
「よく平気だったよね。美幸なのに」
 その、美幸なのにというのが、どうやらみなの一番の関心らしい。普段の怯えぶりから考えればそれはそうだが。
「平気じゃないわよ、気づいたらベッドの上で全治2ヶ月だったんだから。」
 口々に好きなことをいう連中に最終放火が襲ったようなものだった。
「どこかから落ちたみたいなんだけど、あたしが発見されたの自宅裏の空き地だし、全然覚えてないし。休みはだめになるし、結局約束は反故になるし、さんざんだったんだから。」 
「あんたそっちの方が怖いよ。」
 好奇心の赴くままに生きている子供にとって、楽しみが奪われた事実の方がショックだったのだろう。そしてそれだけがクローズアップされて記憶されるのも仕方がない話だ。けれども、夏実のつぶやきを否定するものも一人とていない。
「そうなの?」
「普通はね。」
 わけがわからず尋ねる美幸に夏実が呆れて答えてやる。全員あとずさったまま、声も出ない。
「なぁんでそれなのに、こういった話に弱いかねぇ」
「全然平気な夏実もおかしぃっ」
 やれやれといった風に夏実はため息をつき、美幸を見やる。言われてみればと美幸も納得しかかったが、それより先に周囲の矛先が自分にむいててへーと夏実は笑って誤魔化した。
「そりゃ、本物みりゃ怖いんだろうけどねー。まだ、見たことないしなー。」
「じゃ、見せてあげようか。」
 誰かが、言った。
 反射的に体を縮め、背中合わせに身を寄せ合って全員がその声の主を探す。その中に入り損ねた美幸だけが取り残されて椅子に座っていた。一人わかっていない夏実がその横に座わったまま、目を丸くする。
「なに?なんかあったの?」
「聞こえなかったの?」
「あにが?」
 我に返った美幸が最初に部屋を飛び出した。
「あぁっ、逃げた」
 それに気づいた夏実が立ち上がったが、不意にシャツを引かれ振り返った。
 白いシャツの少年が一人。
 夏実のシャツをひいたまま、にやりと笑って見せた。

とか。

<2003/02/24 00:00:11>