曖昧 

灰色の空気の中に、少しだけ冷たい風が吹く。
川沿いの散歩コース。
柵に体を任せて川面をのぞき込むけれども、何も映らず、意味のない波紋が広がっていた。雨が降っているのかと、天を仰ぐ。曇り空だか、まだ雨は降っていない。
「もうすぐ降るかもしれませんね。」
後ろのベンチからの声に振り返る。途端、缶コーヒーをパスされ慌てて取る。
「そうですね。」
缶コーヒーは熱く、しばらく手のひらで転がした。
「雨って好きですか?」
ふー、ふー、と冷ましながらコーヒーを一口飲んだら、答える。
「別に好きでは・・・。」
「曖昧ですね。」
らしい、という意味で笑うと、ようやくプルタブを開ける。
閉じこめられていた香りと湯気が漂って、気が抜ける感じがした。
「私は・・・嫌いじゃないです。」
今度は自嘲気味に言うと、お互いで笑みが零れた。
「事故も増えるし滑りやすいし・・・気分も晴れませんけど。」
「でも嫌いじゃないんでしょ?」
もう一度川面に顔を映してみる。だけどやっぱり何も映らない。
「嫌いじゃ、ないです。でもその中の『好き』の部分は、よくわかりません。」
川面への執着を捨て、ベンチに座る。隣の袖を引き、ねだる目をした。
「本田さんのコーヒー、少しください。」
自分のよりも甘いコーヒー。前に飲んでいたとき、その意外な味覚に少し驚かされた。
「じゃぁ、美幸さんのもください。」
互いに交換して、一口ずつ飲んでみる。いつもよりも甘い味が、いつもよりも苦い味が、体の中を降りていく。不慣れだから、戸惑う。でも何か気持ちよかった。
「嫌いじゃ、ないです。」
「私も。嫌いじゃないです。」
ポタッと顔に滴が落ちてきた。空が泣き始める。
用意していた傘を広げると、その中に二人分の体が隠れた。全部じゃない。だからお互いの肩が少し雨に当たってしまう。
「本田さん、いい方法があります。」
立ち上がると、本田の足の間に座り直す。傘は後ろに持たせて、前にコーヒーを持たせて。後ろから肩の上に顎を乗せられるけれど、それも何だか心地よい。
「雨もいいですね。嫌いじゃないです。」
「駄目ですね、私たち・・・」
情けないような笑みを浮かべて、灰色の天井を見る。
形のはっきりしない湯気、形を変えていく雲も、どこか自分と同じと思う。
傘が鳴らしていた雨の音は、次第に激しくなる。
「帰りましょうか。」
川にはいくつもの波が。向こうにはいくつものビルが。道路にはいくつもの車が。人間の心にはいくつもの気持ちが。
髪の毛が少し濡れたが、嫌な気はしなかった。
雨は次の日も降り続いていた。

2003/03/02
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