部屋の主と飼い主と

ニンジンの皮を剥く私の隣で、号泣している奴がいる。換気扇の音とそのすすり泣く音が少ししている室内。どちらも多少うっとうしいものがある。
涙の元はタマネギ。実は夏実にカレーのおいしい作り方を教えて欲しいと言われたので、今教えている真っ最中なのだ。まぁ、“おいしい”カレーの作り方と言うよりは単純にカレーの作り方を教えているのだが。
夏実はタマネギを握り拳大に切るとザルに入れようとした。ちょっと待て待て。
「こんなに大きかったら均等に火が通らないでしょ。それに、こうやって筋と平行に切れば涙も出ないんだから。」
手本をやってみせると、彼女は泣きながら手を叩いてくれた。っていうか泣くの止めろよ。
次にニンジンも切らせた。
「皮ってあったんだ。」
前に岡林君が夏実手製のカレーを食べさせられたそうだけど、よく生きていたなぁ。考えるだけで恐ろしいかも。
今度は隣でにこにこ笑いながらニンジンを切ってる。
夏実は何でここに戻ってきたのかな。
中嶋君と同居するって決めた時も結構勇気いったんだけど。
夏実を送り出すって決めた時も結構勇気いったんだけど。
だけど夏実が戻ってきた素直に嬉しかった私。うーん・・・
「ジャガイモの皮って難しいね、剥くの。」
ピーラーで無造作に剥いていく。その乱暴な様子に私は気が気でない。そしてどんどん小さくなっていくイモ。だが私は何も言わずに包丁を取り、手伝った。
一生懸命に何かに向かって行ってそのまま帰ってない、みたいな彼女は今ジャガイモに向かっている。隣に私がいることも忘れてるのか?それでもいい気分。そういう夏実が好きだから。
「痛っ!」
ピーラーで指切るなよ。中指をやったらしい、くわえている。
私は彼女の指を取り上げると、ぎゅっと血を出してからくわえた。私の癖。痛そうに一瞬目を閉じた。子供だなぁ。薬箱から絆創膏を取り出して貼ってあげる。じんわり赤が滲んだ。
染み出す感じだったかもしれない、こんな風に。夏実が私と違う道に行くって知った時。じわりと寂しいのが。
あはは、それで中嶋君?自分でもあきれるな。ま、順位で言えばわかっていたことかもね。
鍋で野菜と肉を炒めたら、水を加えて煮込む。灰汁を取ることも教える。野菜が柔らかくなったところで
「ルー?」
「一度火から下ろすの。温度少し下げてから入れると、玉にならないのよ。これが、“おいしい”カレーの作り方。」
熱けりゃいいってもんじゃない。私たちもそうなのかな?けど、私が温度を下げる前に夏実が強火にする。そしてその逆も。クールじゃいられない、互いのことに関わっちゃうと。
ルーを溶かしてとろみがつくまで煮込む。出来上がるまで、私たちは居間でくつろぐことにした。すると、ボツッと夏実が呟くのが聞こえた。
「よかった、また美幸のご飯食べられて。」
手にした雑誌をラックに戻して、私はもう一度彼女の傷を負った指を手に取った。
「あんた怪我してるから、今日は私がしたげる。」
意地悪に笑ってやると、膨れた顔を浮かべてもう片方、つまり右手を出して私に見せつける。
「そうは行くか、利き手は無事なんだから。あ、カレー!」
私にとったらカレーなんてどうでもいいことなんだけどな。香りを漂わせた奴は、夏実を連れていってしまった。まぁいいか。しばらくはまたここで二人なんだし、夜は何度だってくるんだしね。

<2003/03/04>
 一  覧